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宮崎 駿 のインタビューにあったのだが、 百姓というのはかなり幅があったそうです。 今は、百姓といえば農業従事者だが、 昔はそれ以外にも、道具を作る人、家を建てるひと等々、 村の中でそれぞれの役割分担を持つ人、 すべて含めてその村で暮らす人を百姓と呼んでいたらしい。 そらそうですよね。 僕も 「 百姓はなんでもやらなあかん 」 といわれ、 家づくりなんかにも手をだしてしまったが、 ぜんぶが全部、自分でなんでもやってたとは考えずらいですよね。 冷静に考えれば、昔の百姓がひとりひとり、 すべて自給自足してたとは思えない。 それは不可能に近いでしょう。 その地域、村全体で自給が完結してたのでしょうが・・・ ( この項 さらにつづく・・・ )
面白い会話がありました。 Aさん 「自給自足しています!」 質問者 「ここへは何でこられましたか」 A 「車です」 質 「自給の車ですか」 A 「・・・」 質 「ガソリンは自給ですか」 A 「・・・」 質 「電気、水、ガスは自給ですか」 A 「・・・」
質 「その服は、靴は、ベルトは、めがねは」 質 「塩は、油は、砂糖は・・・」 A 「砂糖は使わないように・・・」 質 「自給ですかと聞いています」 A 「・・・」 質 「クワは、カマは、家は、鉛筆は、照明器具は・・・」 A 「・・・」 質 「トイレットペーパーは」 A 「・・・」 質 「一体何を自給していますか・・・」 これは嫌な話ですね。 でも実際、 野菜と米、小麦と大豆、 それから作った味噌とパンぐらいだろうか、自給できそうなものは。 それらを作る道具も資材も、自給なんてできないんだけど・・・
最近あちこちで、 「 奇跡のリンゴ 」 木村秋則さんのことを聞くようになった。 以前、松山市内で開かれた講演を聞きにいってから、 何冊か著書を読んで、興味をもっていたのだけど。 その中で 「 自然の野菜は腐らない 」 というのがあります。 この本自体は読んでないのだが、 自然栽培の野菜は腐らず、 萎びてゆくだけらしい。 木村さんの本に 変化の様子の写真が載っていました。 そこで、たまたま残ったうちのミニトマト。 もう3ヶ月にもなろうかというのに ご覧のとおり、腐っていません。 実験のために残したのではなく、 ほんとにたまたま早採りしただけですが。 うちの野菜も腐らない、と言うつもりはもうとうありません。 割れたものや、熟したものはどんどん腐っていました。 保存性は、でんぷんの保有量と関係してるとかなんとか、 どこかで読んだ記憶はあるのですが、よく解りません。 かぼちゃなんかは完全に熟す前に、 早採りしたほうが日持ちするような気はしていますが、 そうすると味の方が心配です。 くだものなんか、腐る寸前が一番美味しいなんて、 言う人もいますものね。 最近よく思うのですが、有機だから、自然栽培だから、 〇〇だからと云うのは、ちょっと違うのではないかという気がしています。 農業は数値化できないものが多く、 いろんな要素が絡み合い、複雑で、簡単にいかないことが多いです。 単純に 美味しい! と言っても、 いろんな意味が、それぞれの好みとか、食べたときの環境とか、 食べる前に聞かされた能書きとか・・・
やっと涼しくなりました。 雨も降り一安心といったところでしょうか。 秋野菜、予定より10日遅れです。 プランターで、自然栽培のちょっとした実験をしていました。 なすび、 定植時の活着にぼかしを少し、 以降まったく肥料無しで育てていました。 買ったプランター用の土なので、 初期肥料は若干あったでしょうが、 地力がどうのというものではありません。 なすび自身のちからでここまで育ちました。 畑ではとっくに終わって更新剪定し、秋茄子がそろそろ収穫開始です。 ごらんのようにプランターではやっとこんなぐらいです。 花も咲きますし、 小さいですが実も付きます。 これでできたと言うなら 確かに育ちました。 これまで何個か食べました。 味は・・・ 無肥料は、やっぱり無肥料かな。 当たり前のことですが、肥料が無ければ大きくは育ちません。 虫も畑に比べて、てんとう虫だましは少なめでしたが、 カメムシはしっかりつきました。 よっぽど豊かな土で、恵まれた条件ならともかく、 新規就農の畑で、一年目、二年目ぐらいで無肥料は ちょっと厳しいかなと。 徐々に土を作りながら転換していくしかないのかな。 最初から、こういう野菜をいい野菜と、高い値段で売りたくはないです。 自給用で、 自然栽培です、できました、やっぱり美味しいねー、 無邪気に喜んでるぐらいの事ならいいですが・・・