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【2024/11/27 07:16 】 |
田舎で、農業で暮らすこと ⑦
面白いブログみつけました。


自然栽培を考える。
http://sizennsaibai.seesaa.net/


いろいろ考えておられるみたいで、同意できる部分とできない部分は当然あるのですが、とりあえず無断でコピペ。


自然栽培の理念

「自然栽培」とは自然の力をいかんなく引きだす永続的かつ体系的な農業方式の呼称です。肥料・農薬には頼らず植物と土の本来持つ力を引き出す農業です。

自然栽培は、一切の肥料・農薬を使用しません。
「自然栽培」の定義は自然界を師として、自然から学び、自然を尊びながら自然に添っていく中で大自然の法則を田畑に応用する農法です。

農家は膨大な年月を費やして、土づくり、タネづくりを行います。
いわば“土からもタネからも逃げない“、そして、肥料や農薬に頼ることなく大自然の潜在能力を田畑に発揮すること、植物の本来の生き方に向き合うこと、これをもって「自然栽培」と呼んでいます。


■自然栽培を実施するうえでの理念・原理原則
「自然栽培」とは自然の力をいかんなく引きだす永続的かつ体系的な農業方式の呼称です。肥料・農薬には頼らず植物と土の本来持つ力を引き出す農業です。


■自然栽培の理念
自然栽培の理念は、「自然尊重 自然規範 自然順応」の3 つの言葉に集約されます。
この3 つの理念を農業に応用したのが自然栽培であり、普段の経済活動等のなかにも
応用可能なこの理念を普及していくことを目的とします。


■自然尊重
自然栽培では、土が本来持っている植物を育む力を重視、尊重します。従って、化学肥料・農薬や畜糞堆肥等の土の力の発揮の妨げになるものは使用しません。またそのことによって植物の持つ生命力を引き出すことを重視します。


■自然規範
自然栽培では、自然を先生とします。自然栽培をする上で人間の指導者は存在しません。なにか問題に出会ったとき、人に聞くことを主とするのではなく、身近な自然を手本として問題解決の糸口を見出すことを主とします。また、これは責任が自らにあることを意味します。その覚悟を持つことで、自然を少しずつ紐解いて行くことができます。


■自然順応
自然栽培では、自然の持っているリズムに順応します。日本では、春の次に夏が来て秋、冬と変化します。春の次に秋がくることはありません。何事も少しづつ、ただし確実に変化していくことを基本にします。


■普及の目的
自然と調和する自然栽培の原理を人間の生活活動にも応用することも目的とします。また、自然栽培の普及により自然環境を保全し永続発展可能な食と農のスタイルを確立します。

さらに人と人、人と自然、人と大地のつながり、生かされている意味、いのちの本質につながる広がりと深さがこの農業にはあります。

関わる人自身に気づきをもたらし、幸福の実現に寄与する本来の食を実現するため自然栽培を普及していきます。


■自然栽培の実施
自然栽培の基本的な考え方は、土・植物の持つ本来の力を発揮させることにあり
ます。従って、自然栽培を実施するうえでしなければいけないことは「土づくり・種作り・人づくり」の3 つになります。


■土づくり
土の本来持つ力を発揮させるためには、土に余計なものを入れないことが基本となります。加えて、過去に入れた余計なものを積極的に抜き出すことに努めます。これは土に施されてきた肥料や農薬が、土の本来の力が発揮されることを阻害しているという経験則に基づいています。

この過去に施されてきて、土に残留する肥料や農薬などの本来の自然=土からみて不純物となるものを「肥毒」と呼んでいます。

さらに植物の根張りを増進させるため、土の団粒化を促進します。「軟らかく、温かく、水持ち・水はけ」がよい状態になるように努めます。その際、腐植を促進するために圃場に投入するものは原則、田畑で生産された植物の残渣を中心とします。外部から土に投入する場合は、その素材が清浄なものであることを必ず確認します。


■耕起について
土の過去を精算するために土層を破壊する目的、ならびに土壌の植物の腐植化、土壌の循環能力を高めるために、耕起は行います。何十年何百年と自然栽培を続ける中で将来的に土が清浄化されて、植物が種を落として次の年、また実を実らす中で十分な食料が生産できるようになるかもしれません。しかし現状は上記の二点の目的をもって食料としての供給力を維持するため耕起は行っています。


■自然のまま、放任ではない
肥毒という土に施した過去の生産が肥料・農薬を使わず営農を実現する重要な要素になるため、人は積極的に田畑に手をおろします。播種をすれば収穫までなるべく人は作物に関わらない方が良いという考え方もあります。それはそれで理想なのですが、営農を実現し肥毒という過去を生産するためには自然の一部である人も積極的に農業を行います。土と作物の一生に向き合うことになります。


■除草について 草の意味 
草は意味あって、必要あって存在してくれています。土を進化させ豊かにする目的で存在しているといえます。しかし田畑は野山とは違い、作物を生産する使命を持った場です。農業経営上も草は申し訳ないが邪魔になってしまいます。そこでやむをえず草には、一度どいておいてもらう必要があります。除草することで草が土の進化のために働けない分、人が土の状況を見ながら作物の根を使って土の腐食化をすすめ、土を豊かにしていきます。


■除草について 農村で生き、普及するために
無除草不耕起の取り組みは理想ですが、農村での普及と農村に溶け込んで生きていくとき、草をはやしていては駄農と嘲笑われることが多々あります。すると地域の中で溶け込んだり、普及していくことはとても難しいことになります。ただでさえ農薬・肥料を使わない栽培でともすれば地域で孤立することになりやすいので、除草は近隣と接するところほど丁寧に行うよう心がけます。
作物を生産する場が、周りの人から罵られたり、嘲笑されるような場とならないように周囲の人の前向きな思いに田畑が囲まれるように適切に除草を行います。しかし除草剤は使用しません。


■種づくり
土と同様、植物のもつ生命力を最大限発揮させるためには、種子に残った肥料や農薬などを取り除くことに努めます。また、自分の畑にあった種子を確保するためにも、種を取ることで作物の生きるプロセスに向き合うためにも自家採種に取り組みます。

ただし、自家採種は固定に時間がかかり、リスクを伴うため、家庭菜園レベルで少量行います。そして種が固定されてから量産を行うようにします。


■人づくり
土づくり、種づくりを実施するのは人間です。作る人自身が常に理念に立ち返り、自分作り、土づくり・種づくりに取り組むようにします。


■自然栽培への転換
自然栽培を開始するとき、原則として、農地の一部を転換し順次その面積を拡大していく方法をとります。自然栽培の原理から考えて、物事は始め小さく始まり、少しずつ広まっていくのが理想的です。拡大は計画的に行い、経営的に継続可能な設計を行うようにします。自らの技術と販売能力に見合った面積からはじめるようにします。




これはこの人ではなく、自然栽培全国普及会(というのが、あるみたいです)のものらしいです。

なんだか8割がたは僕の考え、やっていることと同じように思います。現実的に生活と収入を考え、リアルにやろうとすると結局こうなるのでしょう。

大上段にかまえて、自然、自然と騒がなくてもいいとおもうけどなー   ・・・









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【2014/03/28 20:58 】 | 暮らし | 有り難いご意見(0)
田舎で、農業で暮らすこと ⑥
いよいよ農法の話です。

結構長く、また少し専門的な内容になるかもしれません。

実はブログ再開にあたって、どんな人に読んでもらいたいのか再考しました。このブログもピーク時は50~60のアクセスがあったのですが今は数人、知り合いだけでしょう。本来は農業、移住に興味のある人に、上っ面の良いことばかりではなく、具体的に知ってほしいと思っていますが、実際には今の僕の考えをまとめ、立ち位置の確認のために書いています。

で、農業に関する基本的な知識(たとえば3大要素、リン・カリ・窒素など)は理解している前提で進めます。


どうしてもスタートはこの話からになりますかね。 自然栽培。

イベントとかに野菜を出すとよく聞かれました。「自然栽培ですか?」「いえ有機栽培です」
なんだかがっかりした様子でした。いつからこうなったのでしょう。

自然栽培、栽培すること自体が自然ではないのだからそもそも形容矛盾、人工天然物と言っているようなもの、というへ理屈はおいといても、最近はほとんどわからなくなってきました。

ネットで調べると、もとは戦後まもなく無肥料栽培をやっていた人が、GHQから、この食料増産が命題のときに無肥料とはなにごとか、ということでなんとか名称を考え、自然栽培と名付けたそうです。ほんとかどうかはわかりませんが。

僕は福岡さんの本を読んで、自然栽培とはこんなものと理解したのですが、今はあまりにもその理解をこえることが多すぎます。福岡さんの話は納得できるし、いずれは不耕起、無肥料、草生にシフトしていきたいと思っているぐらいですが、実際に自然栽培やってますという人でまともにものを考えているひとに出会ったことがありません。

もっとも大きい違いは、福岡さんは自然栽培の方が、慣行より見た目も収量も良いものができると書いてます。これもしなくていい、あれもしない、手間も金もかからない。だから安くていいと、高く売られていた自分の米を、怒って引き上げたそうです。

貧弱で、ひねこびて、それでもべらぼうに高い、自然栽培だから、無肥料だから。逆ですよね。
これでは売れません。でも見た目が悪くてもおいしいから。わかってもらえない、客が悪い。そうかな。すぐには無理でも、ほんとにおいしいなら何年かやってれば口コミで広がっていき、噂ぐらいは聞こえてきそうなものですが。

無肥料で、手間暇かけなくてもこれだけのものがこんなにできる、すごいね! ということなら理解できます。

ただそこにいくまでの時間がかなり必要だと思っています。とくにもともと肥えた土地ならいざしらず、内子の赤土、たばこの後作ならなおのこと。不耕起だから良いのではなく、不耕起でもやれる土が重要だと思います。スタート時はまずそのための土づくりが必要ではないでしょうか。

誰の話を聞いても有機転換に3年、土ができてくるのには5年、やっぱり10年ぐらいは必要という気がします。

引越しした翌日にじゃがいも植えて、一年目からみんなそこそこできて、2年で軌道にのったという自然栽培やってる人がいますが、よほどの天才、超人か大ウソつきですね。

震災後、テレビで福岡農園が映ってましたがマルチ使ってましたよ。ハウスでベッドでいちご作って自然栽培だという人もいるし、もうなんでもあり言ったもんが勝ちの世界です。

それを名前だけでありがたがる消費者が問題か、なにも考えずに自然がサイコーだと思っている生産者が問題かさてさて・・・・









【2014/03/13 14:53 】 | 暮らし | 有り難いご意見(0)
おかしなこと
農法の話の前にひとやすみ。


なんだかおかしいなと思うこと、いくつか。



まずは聞いた話。


全国の米農家が集まって、「米の消費を増やそう」という一泊の大会があったそうです。翌日ホテルの朝食では、半分以上がパンを食べてたとか。
あかんやろう。

つぎは、松山でのイベント。タイトルは 「農でいこう!」
冷暖房完備のビルの中、お菓子や加工品ばかり並べて、駐車上は地下で有料でした。
どこが農やねん。

携帯で連絡のやりとりして、メールには駐車の案内、みんな車で乗り付けて3・11以後のイベント、テーマは 「エネルギーの無駄遣い、便利な暮らしを見直そう 」
ちょっとちがうやろ。


内子の移住者にもいますよ。

セルに種まいて、ビニールかぶせ、温床で温度かけて、
「自然のままに、不自然なことはしない」

ぼかしを作ったり、菌床やチップ、あげくにユンボーで穴掘って、畑に小枝や竹くずまで山ほど入れて、「無肥料です!」

廃材ないか、廃材ないか、探しまわって集めて燃やして 「シンプルな薪の暮らし」

何千万も使って土地買って家建てて、「お金がなくても豊かなくらし」

耕運機やマルチやビニールを使うのはガソリンの使いすぎ、でも40~50キロも車で走って売りに行く。そのガソリンは?

今治で作った野菜を宇和島まで配達して、 「身土不二」

話だけ聞いてると究極の農法、これさえ入れれば土もいらない。一年で止めました。


こんなところにしときますか。


僕はこれだから嫌われるんだろうなあ・・・












【2014/03/08 19:39 】 | 暮らし | 有り難いご意見(0)
田舎で、農業で暮らすこと ⑤
有機農業で暮らすと決めて、まず思い立った販売方法は野菜セットの宅配でした。

基本は生産者と消費者との提携、つながりなどなど、いろんな本を読んでもかならずそう書いてありました。僕も単純にそうなんだろうと思い、最初は少量づついろんな野菜を、時期をずらしながら作っていました。

しかし実際にやってみて、これで生活するのは無理だなと思いました。

まず、セットを組むための種類。セットの価格を考えれば、10種類以上の野菜を年間通じて揃えなければなりません。これは大変です。少ないときは5~6種類でもいいのでは? という人もいますが、松山まで走っていって、ひと箱何百円ではとても採算に合わない。

端境期には、カボチャやじゃがいもなどの保存できる野菜を中心にしたとしても、かなり厳しいですし、それでお客様を満足させられるのか。

時期をづらし少量づつ作っていくことになるのですが、野菜の適期は意外と短く、ほんとに良いのだけ出荷しようと思えばそうそう永くも作れません。さらに、いつもいつもうまくいくとは限りません。たぶん綱渡りが続くのでしょう。

自前でセットが組めず、内緒で他人の野菜を届けるなんてことも聞きます。

次、仮に配達を10軒、週2回とします。
きゅうりやオクラは毎日収穫です。配達の無い日はどうするのか。野菜は待ってはくれません。配達分作付けすれば、他の日はどうするのか。毎日10軒分のきゅうりがとれるわけですから、他に販売先を確保するのか。少なく作って冷蔵庫で保管したものを届けるのか。

その次、それぞれの野菜にはそれぞれ作り方のポイント、その作業の適期というのがあります。50~60種類もつくって、すべて技術習得できるのか。野菜作りは集中力だと思っていますが、いつもベストの野菜を出荷するなんてことができるのか。

結論として、セットの良い品を安定的に届けるのは、僕ひとりでは無理だなと思いました。
やるなら何人かでチームを組んでのリスク分散と、役割分担が必要だと考えます。

推測ですが、一軒で宅配してる野菜、時にはあんまりだというのが届くこともあるのでしょう。それでも提携、買い支え、環境などなど考えた消費者の方は、理解してくれているのだと思います。それはそれで素晴らしいことだと思います。でもそれは運動とはいえても、純粋に野菜を売っているのではないですよね。

有機栽培でうまくできた野菜は、見た目も大きさも味も、ほんとに良いですよ。自分でつくっておきながらびっくりしますよ。ぜひ、そういう品を食べてもらいたい。

時代は動いています。

有機栽培がほとんど知られてない、変わり者のする農業という昔ならいざしらず、今は内子町でも認証が取れるような時代です。

普通の消費者でも、しっかりしたものを出してゆけば、理解してくれるはずです・・・










【2014/02/20 19:42 】 | 暮らし | 有り難いご意見(0)
田舎で、農業で暮らす 4
続きです。


前回のような話を、他の移住者にしてもなかなか理解してもらえません。売りたいのか売りたくないのか、負け惜しみかただ面倒だけなのか。

たとえばPOPも書いたとはいいますが、手書きでモノクロ細かい字でびっしりと。僕なんかも老眼が始まっていますからとても読めないし、そもそも買い物中に立ち止まってそんなにじっくり文章読む気になりますか。言いたいことがいっぱいあるのはわかりますが。

最初の頃よくやったこと。野菜を並べた後一度店外に出ます。自分が買い物にきた気分で店内を見て歩き、自分の野菜が客観的にどう見えるか確認します。
次に片隅で、自分の野菜に対するお客さんの反応をうかがう。

だいたいまず一番は手にとってもらうこと、そこからカゴに入れるか戻すか1、2秒ほどのはなしです。POPに目をやるのも同じです。瞬間的にどう見えるか、何を伝えるかだけです。小泉さんではないですが、ワンフレーズです。

また書きますが、美味しいとかどうとか言ってもまず食べてみないとわかりません。

土付きのほうが痛みが少ないし長持ちするから洗わない。
確かにそうなんですが、
今晩はカレーでも作るか、とじゃがいも3個や5個、にんじん3本と買いにくる人に日持ちが必用ですか。 町中のこ綺麗なマンションの、何十万もするキッチンで、土付き野菜洗いたいですか。
ビニール袋は石油を使うから、なんてのはもう論外です。

直売所に出すなら、その特性と客層を理解して作戦をかんがえないと。どこでも誰にです同じことを言っても伝わりません。


では、宅配は・・・











【2014/02/10 09:28 】 | 暮らし | 有り難いご意見(0)
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