暑い日が続きます。
31日 内子町小田へ、灯篭祭りを見に行ってきました。
現在の内子町は、旧内子・五十崎・小田が合併してできました。
最近外から来た僕らからみたら同じ内子の様な気がしますが、
それぞれの地域に歴史があり、文化・伝統も微妙に違うようです。
メインは陽が暮れてから。
商店街を練り歩きます。
ライブの琵琶演奏に合わせて
小田川に灯篭が流されました。
この歳になると、全国各地でいろんな祭りも見てますし、
札幌には 「雪祭り」 「よさこいソーラン」 「イルミネーション」 など
おおきなイベントもありました。
日ハム優勝のパレードもすごかったですし。
失礼な話ですが、あまり期待はしていなかったのですが、
これが意外と面白かったです。
まつりは地元に限るなあー というのが実感です。
ひとつだけ残念なのが、神輿でも太鼓でもいいから、
ひとつふたつは担ぐのがあってもいいかなと。
僕の生まれは大阪八尾、ものごころ付く頃の地の祭りを思い出しました。
うちの村祭りは、神輿と座布団太鼓でした。
これはグーグルで探した
よその写真ですが、
こんな感じのものです。
信貴生駒連峰の信貴山のふもとの村で、教興寺というお寺の名前が、
そのまま知名になっていました。
七夕の日が夏祭り。
まず太鼓が、子供が弁天さんと呼んでいる天照大神を祀った神社に
神輿を迎えにいくところから始まります。
その後近隣の村々をめぐり、夜には村中心のお旅所で錬りが始まります。
神様の乗った神輿はそのまま地面に置けませんから、
コンクリの台が作られていて、そのちょっとした広場がお旅所です。
しゃんしゃんしゃんと神輿が駆け抜け、
その後重厚な太鼓のリズムで座布団太鼓がやってきます。
新しく作り直した太鼓はそうでもないらしいですが、
うちのは古くて、1トン以上あるみたいでした。
それを男たちが担ぎます。
夜、かがり火がたかれたお旅所に、休憩所から、
男たちが歌いながら集まってきます。
なかには一升瓶を手にしたのもいましたからね。
最初はいいのですが、すぐに太鼓は上がらなくなります。
昼間の疲れと酒でべろんべろんですから、
あっちへよたよた、こっちでどっすん。
悪いことにうちの家はお旅所の前。
元は国道だった、高野街道という高野山参拝用の狭い道路。
親は気が気ではなく、実際何度も瓦が割れたり、
植木がぐちゃぐちゃになったりしてますが、
それは村のこと、どこにも文句は言えません。
どこかで喧嘩も始まり、役員は早く上げようと指示を出すが、
だれも聞きません。
もう一回り、さらに一回とよれよれと続いていきました。
それが面白かった。
祭りの日にちが七夕の日から、土・日曜になった頃からでしょうか、
担ぐ人が少なくなり、今では車に乗せて引っ張ってるようです・・・